残酷なこととは

依田: いろいろと残酷についてお話ししてきましたけど、往々にして我々は、人が殺されたり傷ついたりすることだけが残酷と感じがちじゃないんですか、もっと、気がつかないささいなことで、残酷なことがあるんじゃないかな、

森:  そうですね。 

依田: 新聞の社会面を見ても、殺人事件となるとデカデカと報道されているけど、その片隅においやられた小さな事件の中に思いもよらぬ残酷な話がありますね。

森:  このあいだも新聞に、ある母親が急病の子を抱えて、役所此所の病院を馳けずりまわった挙句、やっと診て貰えた時にはその子は死んでいたという事件が載っていたけど、人里離れた山奥ならいざ知らず都会のド真中の話ですよ、運が悪かったの一言で片づけるには、残酷すぎると思うんです。

依田: ひどい話ですね。

森:  人間が、人間らしい生活をしていく上の最低保障のようなもの、それをおびやかされる位残酷な事はないんじゃないですか?

依田: そうそう。そういう観点からの残酷性のとらえ方こそ大切だと思いますね。何も大上段に振りかぶらなくても、我々の周囲から瞶めていくべきですね。

森:  一歩外に出れば、物すごい交通地獄で、死亡ゼロの日はないといっていい位だし、雨が降れば放射能の量を気にしなければならない・・・。

依田: 本当ですね、もう我々は慣らされてしまって、当然の事として受け取っているけど、そういう麻痺させられた状態におちいる事は怖ろしいことですね。

森:  僕達が一寸気を許せば、人類が絶滅するんだということ、そんな危機感みたいなものを、僕達は絶えず持っていなければいけない。不幸なことです。

依田: 核兵器はひどい。一発で地球上の生きものすべての生命を奪ってしまうんだから。

森:  いつも死の恐怖を感じながら、我々が生きていかなければならないとしたら、これこそまさしく、残酷極まりない話ですね。

依田: その意味で、この残酷ブームは、我々が生きていく上に、何が残酷なのかという課題を与えてくれたという点で、大変良いことだったんじゃないですか?

森:  僕もそう思いますね。

(録音テープが不整備のため、やむなく紙上対談の形に致しました。御協力して下さった関係者に深くお詫び申し上げます。 編集部)

1959年〜61年に平凡社から刊行された「流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語」(全七巻:第1-5部、現代篇1-2)。題名に冠せられた「残酷」の二文字は、そこに記録された人々の生活の実相を指すものであると同時に、それらが「むざん」に忘却されたうえになりたつ社会の有り様も示している。監修者:宮本修一、谷川健一、山本周五郎ら。