心にもなきセリフ

 赤垣源蔵徳利の別れといえば、『忠臣蔵』中のエピソードでも有名なものですが、そのセットで撮影前に、源蔵の勝新太郎と女中お杉の若松和子が、セリフの読み合わせをしていたところ、その最後の箇所の、

 源蔵 「お前にも世話になったな、早くいい亭主を持って子供をこいらえな」

 お杉 「大きにお世話でございます」

 源蔵 「しかし、お前では、どうもなり手がなかろう」

 で、まだ結婚前の若松嬢が、「本当にツマンないわ、そのセリフ」と、大いにガイタンしたところ、フェミニストの勝ちゃんもすかさず、

 「そうだろう、ぼくもこのセリフを君に云うのがツラクて、昨夜からオチオチ眠れなかったんだよ」

 といいましたが、これもどうやら演技のうちと見たはヒガ目でしょうか。

 

 

お若いデス

 現代劇の女優さんたちが、大挙して『忠臣蔵』に現われるのが「山科閑居」と「一力茶屋」のシーンですが、いずれもたださえ厄介な時代劇の衣裳中一番手のこんだ遊女の衣裳で舞妓の市川和子、川上康子の外は、みな帯を前に「文庫」に結んで全く手も足も出ない有様でした。

 彼女たちが初めて出た「山科閑居」のセットの片隅で、近藤美恵子(遊女五月)、矢島ひろ子(遊女千歳)、藤田佳子(遊女紅葉)、市川和子(舞妓ちょん丸)たちが、何かヒソヒソ話し合っているのに耳を傾けてみると、

 「一体、当時の太夫さんたちは、御飯の時にどうして食べたのだろう?」というのが、その議題の中心でした。ああ、脂粉なまめかしく粧えど、ついに彼女たちは、ついに彼女たちは、まだ色気より食い気の年頃にてありにけり。

 

 

二人垣見イコール二人大石

 成駒屋ハンこと中村鴈治郎といえば、これまで歌舞伎の「忠臣蔵」では、しばしば大星由良之助に扮して、先代ゆずりの至芸を発揮して来た事は、劇通ならずともよく知っていますが、今度大映の『忠臣蔵』の吉原の本陣のシーンでは、近衛家用人垣見五郎兵衛に扮して、偽の垣見五郎兵衛、大石内蔵助と対決する息ずまるような数分間を見事に演じました。

 このシーンでは、大石の長谷川一夫も、垣見の鴈治郎も同じような衣裳でしばし両々相ゆずらず、これが舞台なら思わず「御両人!」と掛声を入れたいほど立派な腹芸で火花を散らしたわけですが、これを見ていたスタッフの一人が思わず、

 「どっちが、大石や!?」といって感嘆すると、その時すかさずもう一人が答えました。

 「こっち(長谷川)が内蔵助で、あっち(鴈治郎)が、由良之助や」

 まさに御名答!

 

 

とかく、過ぎたるは・・・

 一万四千フィートを越える長い『忠臣蔵』のストーリーの中で、ただ一つの美しい恋愛のエピソードの件りを受けもつのが、鶴田浩二(岡野金右衛門)と若尾文子(大工の娘お鈴)の悲恋コンビで、その最も情景的なラブ・シーンは、はるか江戸の街並を背景にした夜の大川の屋形船の中のシーンでした。

 このセットは、ステージの半分をプール化して、この水に浮んだ屋形船の中の美男美女の情緒テンメンたるところを。キャメラが陸?の方から撮るわけですが、川波に船が軽くゆらめいている実感を出すために、御苦労にもゴム長をはいた装置係が、水中に入ってこの船をゆさぶっていました。

 ところで、この本番撮影で、ゴム長氏があまり気合を入れすぎたのか、船はピッチング・アンド・ローリングで大揺れに揺れたので、渡辺監督は、「待った!ラブ・シーンでそんなに船が揺れてはイカン!」と叫びました。

 ただ、それだけの話です。それなのに、誰ですか、ニヤニヤ笑ったりしてー

 別に、船の障子は半分くらいしか閉めてなかったのですゾ!

 

 

表の仇をー

 撮影も大詰に近づいた一夜、大映京都の東オープンに建てられた吉良邸表門及び裏門の大セットで勇壮な討入シーンが日没を待って敢行されましたが、現代劇陣の川崎敬三(勝田新左衛門)、北原義郎(間十次郎)、品川隆二(大高源吾)たち、みんな例の凛々しい義士の狩人姿ですから嬉しくてたまらない風情で、その道の先輩勝新太郎に、刀の抜き方、おさめ方などを習って、撮影前から大ハシャギでした。

 そこへ小道具係が、見たところ四十五貫目もありそうな(大掛矢、木槌の親玉のようなもの)をウンスコ云いながら持って来て、品川隆二の前へドッコイショと置いて行きました。

 そこで彼はうらめしげに「やっぱり僕はこれを持たねばならないのですか」と呟くのを小耳にはさんだのが、総大将大石内蔵助の長谷川一夫先生でした。

 「そりゃ、君、大高源吾が掛矢で吉良の門を破ったというのは史実に残っているのだから・・・」と、いうわけで、役得ならぬとんだ役損を背負い込んで大奮闘した品川君でしたが、やがて表門の撮影が全部終り、表門の方に出ていた義士役の人たちに交って、欣喜雀躍して部屋へ帰って行こうとすると、大石主税の川口浩ほか裏門の撮影に残された連中はまだ後数時間の寒い撮影を思っていかにもうらやましそうな顔付で見送っているので、ふと思い出して云ったことでした。

 「浩君、主役が裏門の総大将だったのは史実に残っているんだから、仕方がないよ」

 よく江戸の仇を長崎で・・・と云いますが、さしずめ彼の場合は、表門の仇を裏門で討ったということになります。めでたし、めでたし。