大映の守衛さん、お茶くみの叔母さん迄が、小生に雷蔵さんのお葬式に行かれましたかと聞いた。「ハア参りました」と云うと、お茶くみの叔母さんが、「アナタと二人、肩を並べてセット行く雷蔵さんは、兄弟の様に仲が良かったですネ。後ろ姿を見てそう思っていました」と、云っていた。(「市川雷蔵追悼集」に記した赤松のメモより)
市川雷蔵との出会いは、赤松を全く新しい世界へと誘い、作品に刺青を登場させるようになった。赤松は、刺青のアルバイトをするようになって以降、刺青を入れた女を描くようになり、それまでとは、画風が大きく変わった。
昭和41年、赤松は「画廊菊」でスケッチ展を開いた。
スケッチ展には、同郷岡山県出身の大家、池田遥邨画伯も夫婦で駆け付けた。さらに、赤松は、市川雷蔵が展覧会場に来た時の様子を、追悼集のメモに次のように遺している。
小生の素描展の時に、御夫婦、お嬢ちゃんと三人で来て下さった。
土曜日の夕方だった。展覧会場の入り口の方で、入場者が居た時だった。びっくりして見ると、雷兄ご夫婦とひさえチャンが笑顔で立っている。わざわざ来て呉れたのだ。うれしそうに小生の前へ来て、手を握り、大盛況ですネと、一枚一枚丁寧に見て、小生のペン画に心を引かれ、買おうとした。田中日佐夫兄が説明役になって呉れて、一同ビックリ。(「市川雷蔵追悼集」に記した赤松のメモより)
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