雷蔵さんは目下、森一生監督の『七番目の密使』に出演中だ。その日は、クランク・インして早一週間立つ四月も末の候だった。
「明日から鳥取ロケなので、今日は早じまいですよ」
午後二時、雷蔵さんは、そういいながら、黄色のスポーツシャツにグリーンの背広の軽装で、せいせいした笑顔をしながら、私の前に立った。
「新作に入り、それが完了し、再び新作に入ると、作品がダブリこそすれ、ゆっくりする時もなしですね」という。もっともな語である。この二ヶ月間で『命を賭ける男』『旅は気まぐれ風まかせ』『七番目の密使』と、三本も手がけているのだから。 「でもね、今の仕事、大いに張り合いがあるんですよ」雷蔵さんは少なからず嬉しそうだ。
「この作品は、僕がかねがねやりたかった企画ものでね。それが、たまたま企画部の意見と一致したものですよ」と。
かねてから、プロデューサーになりたい程、雷蔵さんは映画企画に関心を持っているとは、聞かされてはいた。
━ 雷蔵さんのいる処、知らないか
━ ああ、きっと企画室だよ
そして今では、それが聞かでもがなの雷蔵さんになっている。仕事のあいまをぬんでは、必ずと云っていい程企画室をたむろしている。昼休みは勿論のこと、一日に一度は、その企画室に顔を出して、「一体どんな映画を作ったら、俳優である僕も満足し、興行的当りを念とする会社側も満足するか!」について、頭を悩ますことが、彼にとっては愉しみの一つなのだそうだ。
「これは、外国映画クルト・ユルゲルス主演の『叛乱』がヒントなんだ。ロシア帝政時代が舞台で、題名こそ変れ四回も再演された。三度目は『大帝の密使』という題名で作られたよ」
これをみて、「そうだ、この、きびしい敵の目をくぐって、極秘裡に命を賭けて密使が活躍する、そのサスペンス・スリラーは時代劇のマンネリを脱する一つの方法ではないかと思いついたんです」と、雷蔵さんの口調はしぜん熱を帯びてくる。
彼は、情熱家なのだ。そして与えられる以上に、自己鞭撻を願う努力家なのだ。それも着々と、合理的に積み上げて行く理論家なのだろう。
そこで、その日本版『七番目の密使、時は幕末安政の大獄時代が選ばれた。勤王派二十八名の大量処刑を憂いて、勅書が下った。その密書を運ぶべく、七人の密使が京都の長州屋敷から、次々と江戸に向うのである。中六人は途中で捕えられた。七番目が雷蔵さんの役である。
彼は行商人、虚無僧、ヤクザと転々と擬扮して、母が殺されようが、恋人が敵に捕らわれようが、ふり向きもせず、密使の大役を遂につら抜く勤王の志士だったという物語が作られたわけだ。
「それに僕は役の中でも勤王の志士など、とても心ひかれて好きなんだ。デビューの『白虎隊』がそうだったせいだろうか」と雷蔵さんはいう。
彼が口ぐせの様にいう言葉、それは「俳優は弱いものだ」ということだ。彼が、自分の作品を企画部に助言するのも、決して欲する役を是非演らせてもらう為ばかりではなく、俳優としてのマンネリズムを何よりも恐れるからだという。会社から与えられるままに出演していて、それでマンネリになって行ったら、俳優はそれまでだ。ファンに倦きられ、会社からは不用にされるだろう。だから俳優は自らその落とし穴に追い込まれない様に、自戒すべきなのだという。 |