市川雷蔵略歴
1931年(昭和6年)、8月29日、京都生まれ。生後6ヵ月で歌舞伎俳優市川九団次の養子となり、1946年11月、15歳の時に大阪歌舞伎座で三世市川莚蔵として初舞台を踏む(「中山七里」娘お花役)。1951年関西歌舞伎界の長老市川寿海の養子となり、同年6月大阪歌舞伎座「白浪五人男」で襲名披露、市川雷蔵を名乗る。
1953年大映より入社を懇願され翌54年入社、同年『花の白虎隊』でデビュー。1958年には初の現代劇である『炎上』(市川 崑監督)に周囲の反対を押し切って出演。寺に放火する吃音症の青年という難役を見事に演じ、キネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン主演男優賞、NHK映画最優秀主演男優賞を受賞、確固たるスターの地位を築く。
また、翌59年には『薄桜記』に主演。辱めを受けた妻のため、片腕になりながらも復讐に立ち上がる男を演じ、代表作のひとつに。このころを境に、長谷川一夫に代表されるような“白塗りの二枚目”から、リアルなメイクとリアリズムを追及したドラマで、雷蔵独自の清々しさと悲劇性を際立たせた作品が多くなっていく。特に後に名コンビと謳われる三隅研次監督の作品には、『大菩薩峠』(60)、『斬る』(62)、「眠狂四郎」シリーズなど、雷蔵の個性を最大限に発揮させた傑作が多い。
また、池広一夫監督と組んだドラマチックな股旅時代劇『沓掛時次郎』(61)、『ひとり狼』(68)、田中徳三監督との『お嬢吉三』(59)、『濡れ髪牡丹』(61)の艶やかさ、時代劇の大御所伊藤大輔監督との“歌舞伎もの”『弁天小僧』(58)、『切られ与三郎』(60)の華麗な格調高さなど、多様な魅力で年間平均約10本もの作品に主演する。
シリーズものとしては、「忍びの者」シリーズ(全8作品)が62年より、「眠狂四郎」(全12作品)が63年より、「若親分」(全8作品)が65年より、「陸軍中野学校」(全5作品)が66年よりそれぞれ始まり、市川雷蔵はプログラムピクチャーの黄金期を担って行くことになる。時代劇と現代劇、その両方に代表作を数多く持つ稀有な映画スターであり、総出演作品数は特別出演を含め約160本にのぼる。1969年7月17日、癌により逝去。享年37歳。 |