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文春図書館・文庫本を狙え!

 日本のジェイムズ・ディーンが赤木圭一郎ならば、市川雷蔵は日本のジェーラール・フィリップスとでも言えようか。要するに、今だたくさんのファンを持つ夭折の映画スターだ。中でも市川雷蔵は、この四人の中で、少なくとも日本では、一番カルトでコンクなファンを持っているのではないか。シネフェスやNHKBSなどで、雷蔵特集は繰り返し上映される。そんな市川雷蔵の、私は、特別のファンではまったくない。だから、この『雷蔵、雷蔵を語る』を手に取ったのもなんとなくである。そして私は、そのなんとなくの読書(雷蔵体験)にはまってしまった。実は、なんとなくこそ雷蔵の一つのキーワードでもある。

 歌舞伎役者市川九団次を養父に昭和六(1931)年京都に生まれた雷蔵は、抜群の成績で大阪の名門、府立天王寺中学に入学し、医者を志すが、戦中戦後のどさくさで、同中学をやめてしまう。

<することもないままに父の芝居をよく見に行ったが、やがてなんとなく芸能界に対しても興味を持つようになった。ちょっとぶって書けば、なんとなくという気持は、やることがなかったからということから生ずるものでなくて、何もしないでいる生活に、多感な青春前期に当面していた自分を、怠惰な習性になることを怖れた、まだ心の底にあった潔癖性が、鞭打ったのだと思う>

噛めば噛むほど味わい深い一節である。「なんとなく」の定義がみごとに述べられている。

 歌舞伎から映画界へと移ったのも、また、なんとなくだった。<この時も私の気持例によって日和見的な態度で、映画に試験的に出てみて、万一悪ければまた歌舞伎へ帰って来ても、もともとだぐらいのものだったのである。『花の白虎隊』『幽霊大名』『千姫』とまず三本の映画へ試験的に出演した後、私は改めて正式に大映と契約を結んだわけだが、これまた私式にのらりくらりと、そのまま映画界へ入り込んでしまった形である>

 そしてこの「なんとなく主義」が文章にも反映し、特別の客観性やユーモア、時にニヒリズムを与え、いわゆる芸能人本を遥かに越える読みごたえを生み出している。つまり、作品(本)としてきわめて優れた物になっている。例えば、こんな一節。

<大抵の人は、成長するにつれて、母の乳房への憧れを忘れてしまうらしいですが、私は年がたっても忘れることができない。いまだにオッパイが好きで仕方がありません。その点、多少異常なのかもしれませんが、私は男性の乳を見ても、ふっと触ってみたい気が起こるのです>

 海外旅行の体験談も楽しい。ハワイで入った日本料理店の仲居さん。

<二人とも厚化粧に訪問着といういでたち、自称木暮実千代に似ているという人と、自称山本富士子に似ているという人とでしたが、それは飽くまで自称で、少なくとも私にはどうしても山本さんや木暮さんに似ているとは思えなかったことは残念でした>

 その一方で彼は、浅沼稲次郎刺殺事件にこんな感想を抱く。

<テレビや新聞の写真などでその瞬間を見ましたが、私は皆さんと違った意味で愕然としたのです。それは犯人の山口少年の刺す時の姿勢なり態度なりが、いかにもそのまま見せつけられたような気がしたからです>

 その言葉の一つ一つが元「医学少年」ならではのリアリズムに満ちている。(週刊文春03年10月9日号より)


文庫になって、9月18日に颯爽登場!!

『雷蔵、雷蔵を語る』

出版:朝日文庫(朝日新聞社) 
価格:\820 

 「眠狂四郎」シリーズをはじめ、日本映画を代表する俳優の一人でありながら、37歳で夭折した市川雷蔵が、自身の言葉で著した唯一の著作。生い立ちから、趣味、映画、家族、競演した女優たちについて、おおらかに、饒舌に語る。他では見ることのできない貴重なプライベート写真を多数収録。