日本映画黄金時代の大映にあって、プログラム・ピクチャーの数々を作り続け、生涯に129本の作品を残した森一生監督。時代劇から現代劇、人情劇、サスペンスものからコメディー映画、お化け映画、ミュージカル、そしてフィルム・ノワールまで、その作品群は多種多彩。あらゆる映画のジャンルを、一級の娯楽作品として作り続けた映画のアルチザン。生誕百年を迎える2011年、代表作『薄桜記』『不知火検校』『ある殺し屋』などカツドウ屋の巨匠・森一生監督作品22本、一挙上映!! |
森一生監督 MORI Kazuo プロフィール
日活、第一映画社を経て新興キネマに入社、36年12月に『仇討膝栗毛』で監督としてデビュー。時代劇、漫才映画、コメディ、狸もの、化け猫映画などなんでもありの職人芸で人気監督になる。一方で、早撮り(映画を短期間で撮ること)で会社からも重宝される。その後、新興キネマを吸収した大映に移籍し、『大阪町人』(42年)などを監督するが、42年12月、『三代の盃』完成直後に徴兵される。中国戦線で終戦を迎え、46年5月に復員。 復員後わずか3カ月で戦後第1作『手袋を脱がす男』を撮る。以来、71年の大映倒産まで毎年4〜6本も映画を撮り続け、大映プログラム・ピクチャーの旗手として大車輪の活躍を見せる。戦前同様、多種多彩な題材で、徹底的に面白い映画にこだわり続けた。 52年1月には、初めて東宝作品に挑戦、黒澤明脚本、三船敏郎主演で『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』を監督。54年には世紀の二枚目、当時スパースターだった長谷川一夫主演で『銭形平次』を撮りヒット、以後シリーズ化される。56年『あばれ鳶』で市川雷蔵と初めてコンビを組む。以後最も多い30作品の雷蔵出演作を手掛ける。59年の『薄桜記』、67年の『ある殺し屋』はふたりにとっても代表作となった。 勝新太郎とは55年の『花ざかり男一代』が初の監督作で、以後23本を手掛ける。二枚目役で精彩を欠いていた勝を『不知火検校』(60年)のダーティな主人公で演技開眼させ、「座頭市」への布石とする。57年には大映初のシネスコ作品『日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里』(脚本は黒澤明)を発表。あらゆるジャンルの作品を監督し、大映黄金時代を支えるとともに、戦後の日本映画全盛時代の一画を担った。 69年、市川雷蔵が37歳で死去し、大映は屋台骨を失う。71年、大映倒産後は、72年の勝プロ・東宝作品『座頭市御用旅』が最後の映画作品となった。以後は、テレビドラマの演出で活躍、「木枯し紋次郎」「座頭市物語」「横溝正史シリーズ」など数多くの作品を手がけた。「モリ・イッショウ」の呼び名は、「酒一升」からきたというほど酒好きで豪快、誰からも愛される性格だった。1989年6月29日死去。享年79。生涯の監督作品129本を残した。 |
上映スケジュール
6/11(日)〜7/3(金)
■ トークショー6/11(土)14:00『薄桜記』上映終了後
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