『忍びの者』は、村山知義氏が、某紙に連載した小説だそうだが、週刊誌にバッコする超現実の忍者ばやりを批判する意味もあってか、忍者研究の奥瀬なにがしの報告に基づき、忍術の実際を解明しながら、日本の下層社会史の一頁として、武士階級の最下層にあたる忍者の人間性を自ら断念するその悲惨さをあばき、石川五右衛門という名の若い青年を主人公にして、彼がその非人間的束縛から脱出するのが、この物語のあらましの内容である。

 監督山本薩夫氏は、前に人間を自由のない機械にかえる戦前の軍隊生活を描いて、『真空地帯』の名作をつくった人だが、『忍びの者』は、その時代劇版ということができよう。かっての軍隊に、等級があったごとく、ここにも、同じ忍者でも、上忍、中忍、下忍と階級があって、技能によって昇給するが、百地三太夫という首領が、厳としてその上に君臨し、絶対的の支配権を握っている。

 三太夫は、部下の石川五右衛門の才幹を認めるが、彼は、当時宗教を弾圧するため残虐の限りをつくす信長の非道を憎み、将来信長が、甲賀の砦に必ず押しよせるだろうという予見から、信長を倒すことが、忍者が生きのびる最後の手段と信じ、五右衛門にその使命をはたさせようとあらゆる術策を立てる。

 彼は、わざと妻のイノネを五右衛門に近づけ、姦通の罪をきせて、そのつぐないとして信長暗殺を引き受けさせ、これが失敗すると五右衛門の父を殺すばかりか、遊女マキとの愛から再び彼の手から逃れようとする五右衛門に、執念深く今後は自由を代償に信長暗殺を命ずる。いってみれば、『真空地帯』内での特務機関養成の時代劇的復元である。

 
 この忍者の世界に立てられた、人間性を遮蔽する厚い壁の中で、自由と愛を求めてもがきf伏す五右衛門の姿はたしかに『真空地帯』の木谷一等兵そのままである。しかし、簡単に信長を宗教の敵として、悪玉にしたて、忍者の砦を過大に重要視したり(なお甲賀一族が、宗教弾圧に信長を憎む遠因は、彼らが天台宗から出たという歴史的背景にあるそうだが、シナリオではそのかくれた関係を理解する程に描かれていない)それどころか、百地三太夫が、敵対する伊賀の忍者の首領藤林長門守と同一人で、このダブルロールで、配下の忍者の技能練磨にハッパをかけるというミステリー的構成があったりして、実のところいささか興味中心に流れていることは否めない。

 しかも、シナリオに関する限り、五右衛門の苦悩より、アクションに重点がかかっているような感じが深い。それに、山本薩夫氏は、時代劇といえば、『箱根風雲録』と『赤い陣羽織』があるだけで、彼の重厚なリアリズムの手法が、このシナリオの壁の中で時代劇の様式ととっくんでどう自由に発揮されるか、セットの中でいつも温顔におだやかな微笑をたたえている山本氏に、まず無遠慮にその点から質問を始める。

 

 

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