幕末、風雲急な折から仁孝帝の皇女和の宮(若尾文子)は十八才を迎えられ、御許婚の有栖川熾仁親王との御婚儀も間近いこととなっていた。
ところが、和の宮の侍女で、姫御婚礼のあかつきには家女房(側室)として共に有栖川宮家へ行く夕秀の父で、陰陽師の熊の倉友房(東野英治郎)が或る日、桂御所に伺候して、和の宮の御婚儀は中止になるであろうと予言した。
友房はその頃岩倉具視(小沢栄)とはかって和の宮が十四代将軍家茂(舟木洋一)の夫人として江戸へ御降嫁になることをたくらんでいた。これによって勤王攘夷の世のうごきをおさえようとする幕府の政略に組したわけであった。
幼時から許婚有栖川宮を深く愛された和の身やの心の痛手大きく、夕秀も嘆き悲しんだが、夕秀の力ではそれを阻止することも出来なかった。 |