(キネマ旬報62年3月下旬号)

             

 

 さて、最後に簡単に物語を御紹介しましょう。

 天の知らせか、十年ぶりで父に会おうと信州烏帽子嶽山麓の番小屋に駆けつけた飯山の小学校教員瀬川丑松は、ついに父の死に目にあえなかった。蒼白い顔で天をふり仰いだ丑松は、「お父さん丑松は誓います。隠せという戒めを決して破りません。たとえ如何なる目をみようと、如何なる人に邂逅しようと、決して身の素性を打ち明けません」と呻くようにいった。

 下宿の鷹生館に帰り、もの思いに沈む丑松を慰めに来たのは、同僚の土屋銀之助であった。だが彼すら部落民を蔑視するのを知った丑松は淋しかった。

 丑松は下宿を蓮華寺にかえた。士族あがりの教員風間敬之進の娘お志保が、住職の養女となっていたが、好色な住職は、養女にまでみだらなことを仕掛ける。これを知った奥様は、苦々しく思っていた。 

 部落民解放を叫ぶ猪子蓮太郎に、兄事する丑松ではあったが、猪子から君も一生卑怯者で通すつもりかと、問い詰められるや、私は部落民ではないと言いきった。この二人の緊張を、猪子の妻は気づかわしげに見守っていた。

 町会議員応援演説に飯山に来た猪子は、高柳派の壮漢の凶刃に倒れた。師ともいうべき猪子の変わり果てた死顔を見た丑松は、「先生!」と絶句した。

 「進退伺い」を胸に、教え子のいる教室に沈痛な思いで入った丑松は、「私は部落民です」と涙と共に告白し、挙句の果ては、「許して下さい・・・」と床の上に両手をついた。すすり泣きが教室に満ちた。驚いて駆けつけた銀之助は、丑松を助け起した。

 虚脱したような丑松は、雪の中に座り込み、冬空に語りかけるように呟いた。「お父さん、何もかも終ってしまいました。猪子先生を捨て、今日、父親を捨てた丑松は、これから一人ぽっちで、破戒の懺悔の旅をさすらって行きます」

 骨を抱いて帰る猪子の妻と共に、丑松は降りしきる雪の中を東京へ向った。これを見送る生徒たち。その後に涙にぬれたお志保の顔があった。

 封切:四月四日〜十七日

 ではこれで『破戒』の章を終ることにいたします。

  

 

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