理想の女性恭子さんの横顔

 では、雷蔵が終生の妻と選んだ遠田恭子さんとは、どんな人なのだろう。

 ここで、二十九日の発表の席上での大映永田社長の言葉を聞いてみよう。

 「そっちょくにもうしあげて、恭子の養父として心から喜んでいる。もっとも、今はいろいろな事情で、遠田姓を名乗ってはいるが、実質的に恭子は、わたしの子供であることにまちがいない。雷蔵くんは、わたしの社員でしかも第一線の人だ。こんなうれしいことはない。だが、これは、おたがい二人が、それぞれ発見したのだから、これからも平凡で良い家庭をつくってもらいたい」

 この言葉にもあるとおり、恭子さんは、永田雅一大映社長が、戦前、遠田光子さんとの愛情に結ばれて生まれた娘さんなのである。それはちょうど永田氏の新興キネマ時代にあたるのである。

 だから、現在でも、遠田家の表札の隣には、永田の表札が並んでいるし、永田社長は愛用の乗用車ベンツを、自宅に置かず、目白の遠田家のガレージに置いて、そこから迎えによこさせてもいる。

 いわば遠田、永田両家の間は、公然の秘密だったといえるのである。こうした環境の中で、恭子さんは、永田氏をパパと呼び、永田氏の息子秀雅氏たちを、おにいさんと呼びあっていたのである。

あふれる幸福感

 恭子さんは、自宅が目黒にある関係もあって、小学校、中学校、高校を日本女子大付属で学び、日本女子大家政学部児童科、現在は三年生である。そして、恭子さんを知る人たちは口をそろえて

 「古風なところもあるが、同時に近代的な感覚の持ち主でもあるという。戦後派にはめずらしい女性だ」とほめている。

 それは、発表の席上で

 「自分の仕事に信念を持ってやっている点、そしてなにごとも理性で判断して男らしく実行していく点、そんなところにひかれました」

 と雷蔵評をのべている言葉の中でもうかがえる。

 スキーが好きで、英語もペラペラ。それで家庭的で、おとなしい人となれば、雷蔵の理想にぴったりの人といえる。この恭子さんを、発表の席まで、雷蔵は終始、腕を組んで支えていた。

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(週刊大衆 01/20/62号)