ハワイ行の陰に

 雷蔵の言葉の中に“一部では『炎上』の時知りあったといっていますが”という一節がある。『炎上』三島由紀夫氏の原作に基いて、市川崑が市川雷蔵主演で三十三年に映画化した作品。

 雷蔵はこの主演によって、三十三年度ブルー・リボン主演男優賞を獲得し、彼にとっては記念すべき作品である。数えてみれば、これは三年前にあたる。この時ほど古くはなかったろうが、雷蔵は、一年前の昭和三十四年暮れに、永田社長じきじきに休暇を申し出て、ハワイに渡った。雷蔵の談話に出てくる、木村さんに世話になった、というハワイ行きである。

 そして暮れから正月をハワイですごした雷蔵は、松の内を終わってから帰国したのが、ちょうど同じ時期に、遠田恭子さんもハワイに行っている。だが、この時は、なぜか、ごく一部の人だけが、遠田さんのハワイ行きを、雷蔵と結びつけて考えただけだった。

 雷蔵がハワイから招待した木村さん親娘の日本案内人に、恭子さんが選ばれていることは、木村さん親娘が、雷蔵と恭子さんの共通の知りあいだったといえる。つまり、それ以前に、二人は知りあっていたということだ。

芸能界以外の人と

 ここで、いままで表面に出ていない話を列記してみよう。

 雷蔵は八月ごろから、おたがいに、好意を持ちはじめて、結婚にふみ切ったのは、ごく最近のことだったという。ところが、雷蔵はハワイから帰ると、すぐに、大映永田社長の家を訪ね、“今年中に結婚したいのだが━”と、相談している。その時期は、現在は、勝新太郎の婚約者となっている中村玉緒が、市川雷蔵と結婚するという風説がとんでいた時期にあたる。そして、中村玉緒のゴシップと相前後して、若尾文子との結婚までが飛び出した、そうぞうしい頃なのだ。

 この頃、雷蔵はインタビューに答えて、こう言っていた。

 「わたしの結婚の相手ですか。いままでなん度も言っているとおり、芸能界の人とは結婚しません。芸能界の人が、家庭的にはゼロだからというのではないのですが━。若尾さんにしろ、玉緒ちゃんにしろ、ウワサが本当になることは絶対にありませんよ。玉緒ちゃんなんか、子供のころからの知りあいだし、ホクロの数まで知ってますよ」

 そして、結婚の相手としては、おとなしい家庭的な人を━とつけ加えていた。だから、一月に、雷蔵が永田家を訪れて“今年中に結婚したい”と相談したのは、その相手としては若尾文子でも、中村玉緒でもなく、遠田恭子さんだったといえる。

  

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(週刊大衆 01/20/62号)