溝口先生の作品には『近松物語』がはじめてで、しかも最後になってしまった。先生は芸術家ハダで、非常に気むずかしい人だと聞いていたが、あのときは私の思うまま演技させて下さった。そして自分の気にいらないところだけ指摘して注意されるだけだった。

 私としては、この作品で予想もしなかった演技賞をいただいたし、いつまでも記憶に残る仕事となることでしょう。

 先生が全快されたら『大阪物語』にかかられることになっており、私も出していただくことになっていたが、残念で仕方ありません。


 最後にお会いしたのは、先月『女囚』の和歌山ロケの帰りでした。そのとき先生はとてもお元気でした。そして仕事のことをとても熱心になさっていたのに・・・。

 私が先生の作品に出していただいたのは『浪花女』(昭和16年)でした。それ以来一昨年の『噂の女』まで、随分たくさんの作品に出演しましたが、どの作品も想像に絶するきびしさで、叱られたことも数限りありません。日本映画界にとってかけがえのない人をうしないました。


 

  一月ほど前でした。先生をお見舞いにいったとき、とても血色がよく元気な声で、「病気が治ったら、また一緒に仕事をしようね」とおっしゃって、私は戦争を境に先生とは一緒に仕事はさせていただいていませんので、とてもこのときはうれしかった。それが、こんなに急に悲しい報せに変わろうとは、まるで悪夢のようです。

 先生の作品を通じて、私は演出者というものがどう生きるべきかを教わりました。仕事の上では本当にきびしく、何度もダメを出されて、死んでしまおうかと思ったこともいく度かありましたが、個人的には思いやりの深い方で、尊敬してやまない芸術家でした。いまは数々の想い出も悲しく、ただただ冥福をお祈りします。


先生が亡くなられたと聞いたときは、なんだか本当に出来ないような気がしました。先生の作品にはOSK時代に一度、映画界に入ってから、『雨月物語』、『楊貴妃』、『赤線地帯』と四度出していただきましたが、そのときは先生のきびしい指導をうけて、女優としての生き甲斐を感じました。

 先生は過去数々の名作を残し、今後も立派な作品を作り出していかれる事だったでしょう。その先生を失うことは日本映画の大きな損失であり、映画ファンとしてもさびしいことに違いありません。