『お遊さま』以来、数多くの溝口作品を手がけて来た大映プロデューサー辻久一氏に、在りし日の素顔の溝口健二を語ってもらった。

━仕事にかけては随分情熱的だったらしいですね。

 欲ばりだったといっていいでしょう。依田(義賢)君が脚本を書きますね。普通の監督だったら本読みでOKになるわけですが、溝口さんはなかなかOKを出さない。私と依田君を呼んで、何度も何度も書き直させる。心理的な突っこみが不足しているときには特にそうでした。溝口作品にかかるといつもトンネルに入っているみたいでしたよ。依田君と一緒にいつトンネルを出られるかと話し合ったものでした。溝口さんはいつの場合でも、最上脚本を得なければ満足出来なかった人だった。撮影にかかってからも、現場でどしどし脚本を直していく。だから溝口組の脚本は、仕事が全部終ったときはじめて出来上るというわけですね。

━俳優さんたちから"恐い監督さん"と恐れられていたようですが・・・。

 恐いけど、それはあくまで仕事の上だけのことですよ。溝口さんは演技指導をやらない人だった。俳優の思うようにやらしておいて、自分の狙いにはまってくるのを待っている。はまってこなければ何度でもダメを出すが、どこが悪いとはいわない。困った俳優さんが、「どこが悪いのか指摘してください」というと、「脚本を読んで下さい。読めばわかります」、としかいわない。だから腕のいい俳優さんにとっては、これほど楽に仕事の出来る監督さんはいなかったわけで、ト書と反対のことをしていても、脚本や演出の狙う感情が出ていれば、それでOKを出していました。ただ例外があって、昨年の『新・平家物語』のときは、雷蔵、成年に懇切丁寧に指導していました。

━『新・平家物語』は、それまでの溝口作品の系列から見て、少し違ったものでしょうか。

 会社に対するサービスの気があったのでしょうが、自分のツボへはまってこない作品は手がけるはずはないし、自分の作品の幅をひろげたい気持があったのでしょう。

━溝口さんがこれは是非やりたいと念願されていた作品はないですか。

 アナトール・フランスの「美しい罪」にヒントを得て、京都、奈良、大阪を背景としたものを撮りたいといって、依田さんと私と三人で、奈良のお寺へシナリオ・ハンティングしたことがあります。これはビスタビジョン第一回作品にする予定だったのですが、内容からいっても白黒の方がいいだろうということになっていました。それと『大阪物語』でしょうね。

━関西を背景にした作品が多いということは、溝口さんが関西を愛していたからなのですか。

 それも多分にあるでしょう。京都にいては時代おくれになる。東京へいかなくちゃとよくいっていましたが、口ではそういっても関西の食物や酒、御室あたりの風土をこよなく愛していましたね。

━仕事を離れた溝口さんは?

 セットではイスに坐ったきり、むっつり鬼みたいな顔をしていたが、仕事をはなれると気さくな、人情味のある、親しみのある人でした。酒が好きで、酔うと清元の「三千歳」を訥るんです。酔っているものだから途中で間違ったり、つまったりすると、また初めにかえってもう一度やり直す。また間違う、もとへもどる。三度でも四度でもくりかえすのです。聞き手に回る私たちはこれには参ったものです。家庭でも晩酌を欠かしたことはないらしい。ジョニーウォーカーが好きで、夜中に眼があくと、本を読みながら、チビリチビリやっていました。

━家庭はどうでした?

 愛妻家だったし、特に娘さんには眼がなかったらしい。

━外国映画をよくご覧になっていたようですが・・・。

 暇があれば、二本でも三本でも続けて観にいっていましたね。ジョルシュ・ローガンの作品などみると、私や依田さんを呼びつけて、「何故あんないい映画を君たちは書けないんだ」と、ぼろくそにいうんです。だからこれはいわれるなと思った作品は、溝口さんより先回りして観て、その作品の欠点を上げてこちらも対抗していたんですがね。

━アメリカへ行くという話が、病気で駄目になってしまったのを残念がっていませんでしたか?

 それほどでもなかったですよ。ビスタビジョンの準備のために、アメリカへ行くときまったから『赤線地帯』を予定どおり上げてくれと話があったとき、「オレの仕事は監督だ。旅行は仕事じゃない。遅れて旅行ができなくなっても、それは仕方がないだろう」と、いってました。それに溝口さんはアメリカより、欧州の方が好きだったようです。

━病院での生活はどうでした。

 医者から五分しか話してはいけないといわれていたのに、話だすと一時間ぐらいはしゃべっている。私たちは病気のことは一言もいわなかったのだが、自分で病名を知っていて、覚悟はしていたようです。一時快方に向って安心していたのだが、こんなに早く亡くなられるとは想像もしていませんでした。ただ心残りなのは、『赤線地帯』がヴェニス映画祭の予選をパスしていて、二十八日に賞が決定するんです。ヴェニスでは溝口さんの評判はとてもよく、監督溝口健二とタイトルに出ると、観客が拍手するほどです。堂々たる国際監督になっていたわけで、『赤線地帯』の受賞も間違いないと思っています。その報せを伝えたかった。それに『大阪物語』の脚本がとても好評で、配役も面白い顔ぶれをそろえ、どんな作品になるか楽しみにしてたんですが・・・いい知れぬさびしさを感じますね。