赤松燎「白竜図」部分

 

 

  

大映・市川雷蔵主演映画の美術担当

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 昭和40年代に大岩甚之助一代記や、昭和50年代になると関西新聞社の連載小説の挿し絵などを描いた。またこの頃、当時太秦にあった大映の撮影所で、市川雷蔵(1931・昭和6年〜1969・昭和44年)に赤松を引き合わせたのが、赤松と親交のあった映画監督の池広一夫だった。こうして、昭和40年代頃から、役者に刺青を描くアルバイトをするようになった。

 

 刺青を描くようになると、市川雷蔵、勝新太郎、米倉斉加年、橋幸夫など、多くの芸能人や芸能関係者との交流が始まった。当時の芸能界は、「カツライス(勝と雷蔵)」ともてはやされた勝新太郎と市川雷蔵が、人気を二分していた。

 赤松は、銀幕の大スターの一人、市川雷蔵の背中に刺青を描くことになった。雷蔵は、それまでになかった技法を駆使して描く赤松の刺青を、大層気に入った。一方、誰彼の隔てのない思いやりや気配りをする年下の国民的大スターの姿を見て、赤松は親しみを越えて尊敬の念すら抱くようになった。

 やがて二人は、絵描と俳優という枠を越え、お互いを認め合い、敬い合う間柄になった。こうして、赤松が言うところの、不似合いな「美男と醜男」の付き合いが始まった。