桓武遷都以来千二百年、日本の歴史の全てが京都を中心に綴られた。そのためか一木一草にいたるまで古い都の懐かしさが漂っている。その昔、清盛が牛車に乗って都大路を行き、勤皇、佐幕が加茂の河原で血煙を上げたと思うと、まさに京都は時代映画のメッカである。

 最近はスクリーンプロセス設備による特殊撮影で、ロケイションの手間をはぶくことも多くなったが、やはり現地ロケに優る実感は出てない。そこで銀幕にうつる「時代映画の背景」をカメラとともにハンチングした。

  

二条城

 慶長年間、徳川家康が、諸国の大名に命じて築城、応仁の乱につづき、戦国百二十年の長い間、荒らされた京洛の真中で、その優美な城姿は人心をなごやかにさせた。

 しかし、この間慶長十六年には、家康、秀頼が会見、この城から家康は、大阪夏の陣、冬の陣、そして、慶応三年には最後の将軍徳川慶喜がここで大政を奉還するなど、いわば二条城はは徳川二百五十年の興亡史でもある。

 

西本願寺大玄関

 善男善女が全国からツエをついて集まる真宗王国西本願寺の法灯ゆらぐ広大な山内には、飛雲閣、御影堂と数多くの国宝建造物が残されており、烏帽子、素襖姿の諸大名が行きかう江戸城になぞらえて撮影されることしばしば。

 変わったところでは最近、アメリカRKO映画の『日本の冒険』でも本堂にカメラが、持ち込まれている。しかしスクリーンで、よくあらわれるのは、大玄関と大玄関門だ。

 大玄関は門に、ほど近く白砂利と松のみどりのコントラストみごとに、みやびやかな大名駕籠、着座シーンは、ほとんどこの場所。また番人部屋を横にした大玄関は、京都壬生の新選組屯所、あるいは大名屋敷として使っても、ごく自然な堂々たる門で、『京洛五人男』『月形半平太』にでもここが撮影されている。

 変わったところでは、この大玄関門前に明治初期の私学校をほうふつさせる龍谷大学の校舎があり、これまたハカマにクツという明治の私学生姿のスターがよくみかけられる。

アクセス

◆市バス市バス 二条城前下車
◆地下鉄 二条城前下車

アクセス

◆JR京都駅から徒歩約15分
◆タクシー 5分
◆市バス(9、28、75系統)西本願寺前下車

 

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(西日本スポーツ 11/01/56)