眠狂四郎シリーズ (1963〜1969)

  封建の世に、転びバテレンと武士の娘との間に生まれ、暗い宿命を負いながら虚無と孤独の影をひいて生きる剣士・眠狂四郎の無双円月殺法と妖麗凄絶なエロティシズムが織りなす柴田錬三郎ベストセラー時代小説の映画化。

 主演・市川雷蔵ならではの端正な魅力が役柄にぴたりとはまり、『殺法帖』(田中徳三)『悪女狩り』(池広一夫)まで十二本作られ、雷蔵晩年の代表シリーズとなった。雷蔵死後は、松方弘樹主演で本作られたが、雷蔵のもっていた時代劇スター独特の色気に欠け、前シリーズほどの新鮮味は感じられなかった。

 自ら市井無頼の徒と名のる虚無の剣士・狂四郎が、武家社会の醜さや町人世界のあくどさを嫌悪しながら、彼の腕や美貌を利用し、甘い汁を吸おうとする悪徳大名や商人に正義の剣をふるう時代劇絵巻。エロとグロがうずまく江戸爛熟期を背景に、狂四郎の特異の剣の冴えを大映独特の流麗なカメラワークがとらえる。男狩りに狂う大名の姫君、幕府転覆をはかる暗殺団と荒唐無稽なストーリーながら、田中徳三、三隅研次、池広一夫、安田公義と大映時代劇のベテランの演出だけに、殺陣のシーンも面白く、とくに第作『勝負』(64)第五作『炎情剣』(65)の三隅研次の演出は映画美を十分発揮させて楽しめる。

 雷蔵のシリーズの他に、鶴田浩二主演で撮った東宝作品(5758)三本がある。鶴田の美しさに眠狂四郎役は申し分なかったが、マスクの甘さ、身のこなしの弱さなどで鋭さにやや欠け、しかも時代を反映してかエロティシズムがほとんど描かれず、原作の魅力を十分に活かしきったといえなかった。(西脇英夫、「キネマ旬報」日本映画作品全集昭和481120日発行)

 

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狂四郎誕生

  私が、机に向かって、唸りながら、四六時中考え続けたのは、ストリーイではなく、主人公の悪党にふさわしい名前であった。私は、その名前さえ思いうかんだならば、この週刊誌読み切り連載は、成功する自信を持った。

 私は、十日あまりの間に、数百の名前をつくった。北海道の奇妙な地名を、くっつけたり、さかさまにしてみたりした。やがて、私は、少し考えを変えた。ひと目で、だれもが、おぼえてしまう名前にしようと、肚をきめたのである。それというのも、「大菩薩峠」を読んだ人は、さまでは多くないであろうが、「机竜之助」という名前は、だれでも知っているはずであった。机は、すくなくとも、小学校へかよった者なら、毎日、それに就いているからである。人間の日常にとって、絶対に欠かせぬものはないか?−そうだ、人間は、毎夜、睡眠をとらなければならない!眠だ! 私は、悪党の姓を「眠」とつけた。悪党である以上、その名も、異常でなければなるまい。狂っている奴だ。

m「眠狂四郎」

 私は、この名前をつくりあげると、おのずと、その人物像が、脳裏にうかんで来た。こうして、一ヶ月後、私は「眠狂四郎無頼控」第一話を、麻生吉郎(新潮社)に手渡した。しかし、その第一話は、かなり狂四郎像が甘かった。S氏が、電話をかけて来て、「あまり面白くないですね。」と、ずばりと言った。私は、用意していた別の話を書いて、渡した。いきなり、女を犯す悪党ぶりを披露したのである。これが、受けた。私自身、あっけにとられるほど、受けた。各映画会社が、映画化権をくれ、と殺到して来た。東宝映画企画部の、かって「第八監房」をはねつけた某も、やって来た。私は、某に向かって、「あなたは、映画会社と作者は、力関係だ、と言いましたね」と、言った。某はみとめた。私は、東宝に向かって、大仏次郎より以下の原作料はイヤだ、と要求した。東宝は承知した。しかし、鶴田浩二の「狂四郎」は、甘くて、観るに堪えなかった。

 今日まで、数多くの俳優が、狂四郎を演じたが、市川雷蔵が、ガンに冒された晩年の狂四郎に、凄味があったのを、眼裏にとどめている。二十話で終わるはずの狂四郎は、今日もなお生きている。すでに、私自身の方が、初老のガタガタの心身になっているにもかかわらず、狂四郎の奴、生きていやがる!(柴田錬三郎、読売新聞昭和51年6月12日より)

柴錬さん、狂四郎と対面

 

『眠狂四郎の創造』

阪本俊光作

 眠狂四郎は戦後に生まれた虚構のヒーローの中で、もっともひろく知られた人物であろう。黒羽二重の着流しに、異人の血のまざった彫りのふかい顔だち、虚無の影を色濃くやどし、愛刀無想正宗をふるって円月殺法の冴えをみせる狂四郎の像は、それを創造した作者柴田錬三郎の手をはなれ、今では独立した存在とさえなって、大衆のイメージの中に焼きついている。

 この狂四郎の登場は、昭和三十一年五月から「週刊新潮」に連載された「眠狂四郎無頼控」からで、読切連作の形で書きつがれた狂四郎シリーズは、以後約二十年にわたってつづいた。「無頼控」百話「続三十話」さらに「独歩行」「殺法帖」「孤剣五十三次」「虚無日誌」「無情控」「異端状」のほかに、連載とは別に発表したものもあり、その人気が理解される。量においても膨大なこの作品は、柴田錬三郎の代表的な仕事であるだけでなく、戦後の大衆文学史上に大きな位置をしめるものだ。

 昭和三十年代はテレビが普及する一方で、活字文化が電波文化にたいして巻き返しを策し、出版社系の週刊誌があいついで創刊された時期であり、「週刊新潮」はその先鞭をつけた媒体であった。柴田錬三郎はその誌上で、五味康祐などとともに、大衆文学の正統である伝奇小説の復活をこころみ、剣豪ブームをもたらしたが、それは彼らの作品が時代状況にふさわしい新しいロマンとして、ひろく大衆に受け入れられた結果だといえる。

 主人公の造型にあたって、柴田錬三郎は「大菩薩峠」の机竜之助を思い浮かべ、机をしのぐ名前は−と考えて、眠となづけたという。ニヒル剣士といえば、机竜之助以来の系譜に立つタイプだが、しかし作者は眠狂四郎に、戦前のヒーローたちとはことなる性格づけを行った。狂四郎は転びバテレンと大目付の娘の間に生まれた子で、その呪われた出生が、彼にふかい虚無の影を与えているが、そこには戦後の混血児問題が投影されているのだ。

 また、剣士としての彼は、正義派的なスーパーマンでもなく、剣によって道をもとめようとする意識の持ち主でもない。彼の剣は武士の魂ではなく、西部劇のガンと同様に殺しの凶器であり、得意の円月殺法は一種の催眠剣法である。「私は、眠狂四郎を剣豪として描こうとしてわけではなかった。狂四郎に、現代の罪悪感を背負わせて、そのジレンマに苦しみながら生きて行かねばならぬ業を見たかったのである。いわば、剣豪が進む道とは、逆の方角へ歩かせてみるために、円月殺法をあみだしたのである。」という作者の言葉は、狂四郎像を鮮明に語っている。

 彼は凶器としての剣をふるって敵を倒し、女性を容赦なく犯すが、その非情さは逆に彼自身の孤独感をふかめ、みずからの存在と時代の虚無をよりつよく意識させる。これは作者のもつ近代的な自虐精神の反映であり、その新しさが現代人にとって魅力となったと思われる。

 狂四郎は水野越前守忠邦の側用人武部仙十郎の意をうけて、つぎつぎと危険な仕事に挑み、多くの敵を相手に戦うが、その過程で彼を慕う女性も多く、波瀾に富んだ物語が展開される。複雑な構成と華麗な人間模様、息をのむ決闘シーンや諸所にちらつくエロチズムなど、ゆたかな空想力にささえられた作品のおもしろさはいうまでもないが、伝奇小説の醍醐味を堪能させてくれるそうした展開の中に、近代的なニヒル剣士狂四郎が活躍する姿が、読者の興味をひきつけ、人気の秘密ともなったのである。

 狂四郎のイメージは鴨下晁湖のさしえと、市川雷蔵主演の映画によるところが多い。とくに雷蔵の扮した眠狂四郎は、ひとつの型をつくり上げたともいえる。昭和三十八年の『眠狂四郎殺法帖』をはじめ、『眠狂四郎勝負』『円月斬り』『女妖剣』『炎情剣』『魔性剣』『多情剣』『無頼剣』『魔性の肌』『女地獄』『人肌蜘蛛』『悪女狩り』などが思い出される。最後の『悪女狩り』は亡くなった年に封切られている。男の色気とニヒルな味わいをみごとに生かし、円月殺法の冴えた剣技をみせたその活躍ぶりが記憶にあざやかである。( 尾崎秀樹 )

 その使う剣がつま先三寸、下段の構えを取り、左から円を描くうちに相手を一瞬のうちに眠りにおとし入れ、命を断つ−この恐るべき魔剣円月殺法の使い手であり、戦後時代小説、屈指のヒーローである眠狂四郎は「眠狂四郎無頼控」(昭和31〜33)以下、「独歩行」「殺法帖」等の作品で誰知らぬとてないニヒリスト剣客のビッグネームとなった。

 作者の柴田練三郎は「眠狂四郎の誕生」というエッセイの中で、新たな連載の依頼を受け、主人公のネーミングに腐心している時、まず頭に浮かんだのは「大菩薩峠」に登場する机龍之助であったと記している。そしてその机に匹敵するくらい人間が毎日必要とするものを考え、睡眠=眠(ねむり)という名前に行き当たる。

 

 

−眠狂四郎−を描いた画家 鴨下晁湖

 円月殺法という邪剣を使い容赦なく人を斬る孤独な剣士、眠狂四郎。柴田錬三郎が生み出したこの長編小説「眠狂四郎無頼控」は、昭和31年5月より「週刊新潮」に新連載され、大人気を博しました。その挿絵を担当したのが鴨下晁湖(かもしたちょうこ)です。

 晁湖(1890-1967/明治23-昭和42)は12歳の時、日本画家・松本楓湖(まつもとふうこ)門下に入門し、その後、文展・帝展で優れた日本画家として活躍しました。一方、昭和初期頃から挿絵の分野でも活躍し始め、戦後はおもに新聞・雑誌等の挿絵画家として、多くの挿絵を描きました。挿絵代表作品「文七捕物帖」「眠狂四郎無頼控」

 −挿絵の中のニヒリストたち−と題して、H10年4月2日から6月28日まで弥生美術館(文京区弥生)で鴨下晁湖展(眠狂四郎を描いた画家)が開催された。

 

復刊された晁湖画『舌切雀』

墨田四丁目隅田稲荷神社の『板絵墨絵神竜図』

 

映画『眠狂四郎炎情剣』の美術

もう一つの烏の屏風

 

Crows

Seattle Asian Art Museum
1400 East Prospect Street
Volunteer Park
Seattle, WA 98112–3303

Dated: c. 1650
Maker: Japanese
Dimensions: Overall h.: 68 1/2 in.
Medium: Pair of six-panel screens, ink and gold on paper
Credit Line: Eugene Fuller Memorial Collection

 

 

 

それから、内藤さんのサインみたいな、『大菩薩峠』に出てきたあの白地に
黒の烏が、この映画『眠狂四郎炎情剣』でまた出て来ます。
内藤 烏というのは不吉な印象を与えますからね。今度は襖で出てきましたね(笑)
これはいいかげんに描いた烏です、構図が全然なってない(笑)。中村玉緒ちゃんもまた出てきて、これじゃ全く『大菩薩峠』と同じじゃないですか。
そうです。だから『大菩薩峠』だっけ、『眠狂四郎』だっけと混乱する(笑)
内藤 じゃ同じのが三人いるわけだ、烏の内藤昭と(笑)
(「映画美術の情念」内藤昭/聞き手・東陽一 10/20/92リトルモア発行)

柴田練三郎作 小説『眠狂四郎』シリーズ全作品解説

 
眠狂四郎無頼控

 文政十二年(1829)雛祭の頃、やくざ者の賭場に、「異人の血でも混じっているのではないかと疑われる程彫りの深い、どことなく虚無的な翳を刷いた風貌の持主」で、歳は三十にはならないと見える眠狂四郎が姿を現わすのが、第一話「雛の首」である。

 ヒーローたるべき人物が婦女子を犯し、これを声高に告げる。感情を交えず行為をなすのだから、これは過剰に残酷といってよいだろう。読切の短編として、まず読者の目を引きつける導入部である。この過剰さは以後も繰り返し現われる。

 西丸老中水野忠邦(天保の改革の推進者)の政治上の野心が『無頼控』の背景となっている。忠邦の側用人武部仙十郎は、シリーズを通して眠狂四郎をさまざまな事件に巻き込み利用する。狂四郎が権力者とどうやって関わりを持つようになったかは明らかではないが、必ずしもその指図どおりに働きはしない。そこがまたニヒリストヒーロー眠狂四郎のひねくれた行動の魅力となっている。

 薄幸な女たちの死が、眠狂四郎の陰惨な出生、宿命をさらに業の深いものにしていくのである。転びバテレンが自分を転ばした大目付に復讐するためにその娘を犯し不義の子を生ませた。それが眠狂四郎である。

 第一話の締め括りで円月殺法を披露する。「眠狂四郎の円月殺法をこの世の見おさめにご覧いれる」と言いつつ、剣を下段に構え左から円を描く、相手は「闘志の色を沈ませて、憑かれたような虚脱の色を滲ませ」血煙をたてて倒れる。「おのれの太刀をして、夢想剣たらしめずに、敵をして、空白の眠りに陥らせる殺法」の誕生である。剣法ではなく、殺法と呼んだところに、剣の精神主義を否定し、ひいては戦後の時代相が反映されており、大きな人気を生んだ要因である。『無頼控』全六巻は、物語の大枠はあるものの、眠狂四郎というヒーローの人物像を彫琢し、短編小説としての面白さが追求されているものなのだ。そして一〜五巻まででそれは完成をみた。六巻は、単行本として刊行されたときに、続三十話が書き足されたものである。

眠狂四郎独歩行

 時は天保八年(1837)、将軍家斉は大御所に退き、十二代家慶の時代。

 廃棄された社に人身御供にされた処女という趣向にのった眠狂四郎は、娘の股間に葵の刺青があり、芳香が漂うのを知る。このような猟奇的な場面から始まり、やがて狂四郎は、戦国時代から連綿と続いている風魔一族の野望が引き起こす事件に巻き込まれる。

 実は、黒指党が強力な風魔一族に対抗するために円月殺法を利用せんとしたのであった。黒指党は松平定信が組織した、幕府内でも知る者の少ない極秘の隠密である。

 一話完結、読み切りのスタイルは『無頼控』と変わらず、短編としての面白さも保ちながら、連載長編としての枠組みはより鮮明になっている。以後のシリーズはますますその傾向が強くなっていく。

 風魔一族の首領は代々風魔三郎秀忠と名乗っており、二代将軍秀忠を祖とし、徳川家の嫡流である立場を取り戻そう計っているという、歴史秘話、稗史を大胆に採り入れ伝奇性も豊かで時間を忘れさせてくれる。

 ところで本書を映画化した『眠狂四郎無頼控・魔性の肌』(もちろん、市川雷蔵主演)では、黒指党は隠れ切支丹が邪神ジボアを崇める狂信者の集団とされている。昭和四十五年の時点では、すでに幕府転覆といった設定が成立し得ないものとなっていたことをうかがわせる。小説の想像力がそれを可能にしているのだが、本書以後のシリーズの物語にもその困難がみられる。ところがかえって細部が冴えてくるのである。さまざまな工夫がされ、馬庭念流宗家、樋口十郎兵衛との立ち会いの場面など、ユーモラスですらある。型通りの脇役にも親しみまでわいてきて、眠狂四郎の性格も少々変わってきている。

眠狂四郎殺法帖

 同タイトルの映画が記念すべき市川雷蔵の『眠狂四郎』シリーズ第一作である。

 時代は前作『独歩行』の一年ほど前に溯り、水野忠邦の政争は激しさを増している。佐渡の金山にまつわる不正をあばいた書類の行方を探るのが第一話。将軍家斉の子を孕んだ大奥の女の膨らんだ腹を眠狂四郎は両断する。帯、着物が真っ二つになると書類が落ちる。この女千佐が狂四郎を運命の男とみなすようになるまでに時間はかからない。

 水野忠邦の政敵、水野出羽守、外様大名の雄加賀藩、加賀の豪商銭屋五兵衛らの陰謀に立ち向かう眠狂四郎に、彼を母の仇と狙う少年と祖母がつきまとう。

 銭屋五兵衛は開国、貿易のために幕府の政治を壟断しょようとしている。気宇壮大を認めながら、みずからを「西丸老中の飼い犬の立場」とシニカルに敵対する。

 後半は莫大な黄金の宝捜しと、眠狂四郎と刺客の五色の忍者たちとの死闘となる。ここに「影」と呼ばれる希代の忍者が登場するが、柴練のもう一つの傑作『赤い影法師』の主役「影」の末裔という設定になっている。柴練のサービス精神に愛読者は必ず喜ぶだろう。

 協力者として登場する少林寺拳法の達人陳孫の存在は男が惚れる男に眠狂四郎が変貌しつつあることの証明であろう。映画『殺法帖』の眠・雷蔵狂四郎が二作目以降よりも妙に伝法で明るいのはそれと関係があるかもしれない。

眠狂四郎孤剣五十三次

 時は『独歩行』とほぼ同年で正月の頃になる。武部仙十郎の主君水野忠邦は本丸老中になっている。

 この側用人は眠狂四郎の気性を読んでいるらしく、厄介な依頼をするときには、ひねくれた頼み方をする。「貴公に、ひとつ、十三藩を対手にしてもらおうと思ってな」という具合だ。

 幕府に対し、薩摩藩を筆頭に西国十三藩が何を企てているかを探る役目である。本書からますます長編小説の色合いが濃くなっていく。どのような策略を用いて各藩の連判状を奪い去るかが作者の腕の見せどころである。

 東海道・品川宿で早速に刺客に襲われる。相手は隼人隠密党、示現流の遣い手十三人。円月殺法は彼等の耳を削ぐという離れ技をみせる。曲芸趣味だが、かえって血なまぐさい。落ちた耳朶が十二個だった。残るひとつはどうなったのかと、興味を次回につなげていき、一話読み切りの形はとっているものの、長編としての構成になっている。

 第一話「初春日本橋」から第五十五話「三条大橋」の道中記になっていて、とりたてて目新しいスタイルではないが、そこは眠狂四郎の行くところ血煙がたつ。

 武士道をあざけり、善意というものが描かれてもいない。それは以前と変わりないのだが、たとえば美保代のことを回想するときの言葉が違う。陰惨、不幸という言葉がその死を彩っていたのに、本書では死に際にわかりあったことを懐かしく思い出すのである。また、狂四郎が母を一人で埋葬したときにそれを見守っていてくれた寺男がいたことなどほのぼのとしたものさえ感じさせるようになっている。

眠狂四郎虚無日誌

 天保十一年頃。天保の改革を目前にひかえ、水野忠邦が困惑している。将軍家慶がにわかに乱行を始めたのだ。

 狂四郎はある少年の必死さに興を誘われ、「旗本が一軒、どういうほろびかたをするか、それを見とどけて来る」と言って事件の渦中にみずから入っていく。ことは旗本の奥方を将軍が召し出し夜伽をさせたことから起こっている。今度ばかりはお節介のおかげで、また不幸な女を引き受けるはめにおちいってしまう。

 将軍家慶を双生児の片割れとすり替え、それを操るお目付け佐野勘十郎の陰謀とわかる。将軍家慶を無事救出するために眠狂四郎は中仙道を京へ上る。その道中に刺客が待ち受けているのは当然である。

 贋者の実在を証明するものに樺太を探検した人物近藤重蔵が、エトロフ島に門扉に葵の紋をうった館があり、徳川敏二郎なる者と出会ったとする。このあたり、柴田練三郎は自由自在に歴史を扱い、絵空事と知ってはいても、張扇の音が聞こえるような心地良さがある。

 将軍入れ替わり事件は落着をみたが、第一話で預かった旗本の奥方は死なせてしまう。不幸の彩りは忘れないのである。

眠狂四郎無情控

 本書が連載される前年、昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫が盾の会のメンバーとともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、檄をとばし、割腹自殺を遂げた事件があった。

 鎌倉八幡宮において江戸城の同朋沼津千阿弥が檄文を読み上げ将軍の面前で切腹するという場面に眠狂四郎が立ち会う。三島事件がここに投影されていることは間違いない。このことによって本書は前作よりも暗い。

 「無縁の世界の異変として、冷やかに眺めるのが、こちらの生きかたなのだ」と呟きながら、残った千阿弥の門弟の命を守ろうとする狂四郎の懸命な努力が描かれる。

 しかし、物語の本筋はそちらではない。稗史で語られた豊臣秀頼生存説の、その後の物語なのだ。太閤遺金をめぐる欲望が、さまざまな闘争を呼ぶ。

 本書では水野忠邦は老中主座に登りたいために、将軍家斉に女を差し出す狡猾な人物として描かれている。これも三島事件の影響か。

眠狂四郎異端状

 シリーズ最終作である。眠狂四郎は漂然と秋田に現われる。秋田藩は飢饉で百姓一揆騒動が持ち上がっている。そこへ秋田蘭画を見にきたという。

 始まりが秋田で、終わりは南支那海とこれまで以上にダイナミックな展開となる。秋田藩は私鋳した清国の銀貨を使って飢饉に苦しむ領民のために食料を調達しようとする。それを知った武部老人は、水野忠邦の出世のために阿片を売って賄賂の金を作ろうとする。

 幾筋もの物語の糸が絡みながら読ませる柴田練三郎の手腕はいつもながら確かで、中でも出色は、イギリス人とインド人との混血で日本に漂着した黒人である。

 占星術で眠狂四郎との出会いを知り、狂四郎の宿命に新しい光を当てる。狂四郎の危機を不確定要素を孕みながらも、不吉な予言をする。宿命的な危機をどう乗り越えるか、このあたりハラハラさせる呼吸は柴田練三郎の独壇場である。

 本書で眠狂四郎は日本から姿を消す。「明日のために、今日を生きておらぬ」男は南支那海をどのように流離っているのであろうか。『無頼控』で終わるはずであった眠狂四郎の最後にふさわしい結末であると思う。

眠狂四郎京洛勝負帖

 これは、まとまって読める最後の狂四郎短編集である。

いつもながらの眠狂四郎を楽しめるが、結末のドンデン返しで、一杯食わされてしまう皮肉なラストの表題作。「消えた凶器」「花嫁首」の猟奇性・トリックは、ミステリーの巨匠ディクスン・カーを下敷きにしている。

 注目すべきは「悪女仇討」で眠狂四郎の一人称の語り「おれ」で通している興味ある一編。歴史記述が欠かせない時代小説では、一人称は難しいものだが、これは違和感なく読める。というのも、眠狂四郎はこれまでも、展開にミステリー味が強く、一話一話にどんでん返しが仕掛けられていることも多く、また内面描写は少なく、行動で狂四郎のニヒリズムを体現していたからであろう。本編は眠・雷蔵狂四郎の映画『眠狂四郎炎情剣』の冒頭に使われている。

 「狐と僧と浪人」の、浪人は狂四郎である。民俗的史料から導き出される人間の修羅の巷が描かれていて、柴田練三郎の語りの奥深さを楽しむことができる。

 最後にエッセイ「武蔵・弁慶・狂四郎」が収録され、これを読むと、円月殺法の描写を、柴田練三郎自身で比較しているので面白い。「大いに工夫を要する」というように、殺陣の場面が剣豪小説にとっていかに重要かがよくわかる。時代小説作家は今でも工夫を重ねているのだろうか?円月殺法に代わるものはまだ現われていないと、残念ながら言わざるを得ないだろう。

( 新人物往来社 歴史読本スペシャル48 RAIZO『眠狂四郎』の世界より )

尚、文春文庫版「眠狂四郎京洛勝負帖」を除いて、すべて「新潮社文庫」で読める。

闇に刃が弧を描く。妖しきニヒリスト

●柴田錬三郎
●眠狂四郎無頼控/週刊新潮/1956年/新潮文庫
●眠狂四郎無頼控/1956年/東宝、1957年/NTV系
●文政〜天保期
●円月殺法
●浪人
●行方不明

 時代劇のヒーローはたいてい女色に淡白だった。例外といえるのは机竜之助で、宇津木の妻を犯す背徳性が、いっそう彼の虚無の影を濃くしているのだ。

 机竜之助に発するニヒリスト剣豪の正統(?)な継承者、眠狂四郎は、容赦なく女を犯し、斬りもする。そのサディスティックなまでの非情さは、儒教的モラルに呪縛され、女の情に背を向ける数多くのヒーローを嘲笑するかのようである。

 転びバテレンと武士の娘の間に生れた宿命の子であり、絶妙な魔剣円月殺法を揮って無頼に生きる狂四郎のキャラクターは斬新だった。

 老中側近武部仙十郎にノセられて、政治の裏側に関わるのも狂四郎の特色の一つだ。市井無頼の一素浪人として生かしておいてはくれないのである。

 価値転換の時代にふさわしいこのヒーローを映像化しないはずはなく、これまでに映画・テレビを通じて七人のスターが演じた。その極め付けが市川雷蔵で、雷蔵=狂四郎作品のシリーズ化によって、狂四郎ブームはさらに浸透することになる。

 シリーズは12本。雷蔵が夭折しなければもっと続いただろう。雷蔵の内面からにじみ出る知性と現代感覚、プラス品位が、狂四郎をしてうわべだけニヒルぶったキザなヒーローたらしめなかった。

 「明日のために今日を生きるのではない」とか「女を犯すことには慣れている男だと思っていただこう」などど、歯の浮くようなセリフも、雷蔵の場合には抵抗なく聞えたのである。

 円月殺法は下段の構えから徐々に円を描き、完全な円を描き終るまで、能くふみこたえる敵は、いまだかってないという剣だ。魅入られたように打ち込んで行って斬られる。相手を眩惑する一種の催眠剣法だと解釈する人もいるが、いろいろなヒーローの“□□剣”“○○の構え”というのをズラリと並べても、最もユニークといえる。

 活字の上ではともかく、映像ではむずかしいことは確かで、雷蔵の場合はストロボ撮影を用いた。このテクニックは眩惑させる効果はあるが、いささかアクロバティックでまやかしくさい。しかしシリーズ第八作の『眠狂四郎無頼剣』ではスーッと円を描いてサマになっていた。

 作者柴田錬三郎が雷蔵よりも、田村正和のほうを買っていたらしいのは意外である。

 病魔に冒され、死を予期していたかもしれない雷蔵とオーバーラップするような狂四郎を超えるスターは出ないだろうか。(永田哲朗)

 

 

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( 新人物往来社 歴史読本スペシャル50 剣の達人より)

 

  

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