眠狂四郎は戦後に生まれた虚構のヒーローの中で、もっともひろく知られた人物であろう。黒羽二重の着流しに、異人の血のまざった彫りのふかい顔だち、虚無の影を色濃くやどし、愛刀無想正宗をふるって円月殺法の冴えをみせる狂四郎の像は、それを創造した作者柴田錬三郎の手をはなれ、今では独立した存在とさえなって、大衆のイメージの中に焼きついている。
この狂四郎の登場は、昭和三十一年五月から「週刊新潮」に連載された「眠狂四郎無頼控」からで、読切連作の形で書きつがれた狂四郎シリーズは、以後約二十年にわたってつづいた。「無頼控」百話「続三十話」さらに「独歩行」「殺法帖」「孤剣五十三次」「虚無日誌」「無情控」「異端状」のほかに、連載とは別に発表したものもあり、その人気が理解される。量においても膨大なこの作品は、柴田錬三郎の代表的な仕事であるだけでなく、戦後の大衆文学史上に大きな位置をしめるものだ。
昭和三十年代はテレビが普及する一方で、活字文化が電波文化にたいして巻き返しを策し、出版社系の週刊誌があいついで創刊された時期であり、「週刊新潮」はその先鞭をつけた媒体であった。柴田錬三郎はその誌上で、五味康祐などとともに、大衆文学の正統である伝奇小説の復活をこころみ、剣豪ブームをもたらしたが、それは彼らの作品が時代状況にふさわしい新しいロマンとして、ひろく大衆に受け入れられた結果だといえる。
主人公の造型にあたって、柴田錬三郎は「大菩薩峠」の机竜之助を思い浮かべ、机をしのぐ名前は−と考えて、眠となづけたという。ニヒル剣士といえば、机竜之助以来の系譜に立つタイプだが、しかし作者は眠狂四郎に、戦前のヒーローたちとはことなる性格づけを行った。狂四郎は転びバテレンと大目付の娘の間に生まれた子で、その呪われた出生が、彼にふかい虚無の影を与えているが、そこには戦後の混血児問題が投影されているのだ。
また、剣士としての彼は、正義派的なスーパーマンでもなく、剣によって道をもとめようとする意識の持ち主でもない。彼の剣は武士の魂ではなく、西部劇のガンと同様に殺しの凶器であり、得意の円月殺法は一種の催眠剣法である。「私は、眠狂四郎を剣豪として描こうとしてわけではなかった。狂四郎に、現代の罪悪感を背負わせて、そのジレンマに苦しみながら生きて行かねばならぬ業を見たかったのである。いわば、剣豪が進む道とは、逆の方角へ歩かせてみるために、円月殺法をあみだしたのである。」という作者の言葉は、狂四郎像を鮮明に語っている。
彼は凶器としての剣をふるって敵を倒し、女性を容赦なく犯すが、その非情さは逆に彼自身の孤独感をふかめ、みずからの存在と時代の虚無をよりつよく意識させる。これは作者のもつ近代的な自虐精神の反映であり、その新しさが現代人にとって魅力となったと思われる。
狂四郎は水野越前守忠邦の側用人武部仙十郎の意をうけて、つぎつぎと危険な仕事に挑み、多くの敵を相手に戦うが、その過程で彼を慕う女性も多く、波瀾に富んだ物語が展開される。複雑な構成と華麗な人間模様、息をのむ決闘シーンや諸所にちらつくエロチズムなど、ゆたかな空想力にささえられた作品のおもしろさはいうまでもないが、伝奇小説の醍醐味を堪能させてくれるそうした展開の中に、近代的なニヒル剣士狂四郎が活躍する姿が、読者の興味をひきつけ、人気の秘密ともなったのである。
狂四郎のイメージは鴨下晁湖のさしえと、市川雷蔵主演の映画によるところが多い。とくに雷蔵の扮した眠狂四郎は、ひとつの型をつくり上げたともいえる。昭和三十八年の『眠狂四郎殺法帖』をはじめ、『眠狂四郎勝負』『円月斬り』『女妖剣』『炎情剣』『魔性剣』『多情剣』『無頼剣』『魔性の肌』『女地獄』『人肌蜘蛛』『悪女狩り』などが思い出される。最後の『悪女狩り』は亡くなった年に封切られている。男の色気とニヒルな味わいをみごとに生かし、円月殺法の冴えた剣技をみせたその活躍ぶりが記憶にあざやかである。(
尾崎秀樹 )
その使う剣がつま先三寸、下段の構えを取り、左から円を描くうちに相手を一瞬のうちに眠りにおとし入れ、命を断つ−この恐るべき魔剣円月殺法の使い手であり、戦後時代小説、屈指のヒーローである眠狂四郎は「眠狂四郎無頼控」(昭和31〜33)以下、「独歩行」「殺法帖」等の作品で誰知らぬとてないニヒリスト剣客のビッグネームとなった。
作者の柴田練三郎は「眠狂四郎の誕生」というエッセイの中で、新たな連載の依頼を受け、主人公のネーミングに腐心している時、まず頭に浮かんだのは「大菩薩峠」に登場する机龍之助であったと記している。そしてその机に匹敵するくらい人間が毎日必要とするものを考え、睡眠=眠(ねむり)という名前に行き当たる。
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